SNSじゃ言えないんだけど

SNSじゃ言えないよ、母の愚痴や女の本音は

感情デトックスしよう

昨日ここで少し吐き出したら、

ウルトラマンならカラータイマーが鳴った後に本領発揮できるのに - SNSじゃ言えないんだけど

旦那に伝える決心がついたので、LINEで伝えました。

直接だとうまく言葉にできなかったり、余計なことまで感情的に言ってしまったりするので、現状を冷静に伝えるためにいつも溜まったことは文字で伝えています。

書き出すとボロボロ出てくる感情が結構自分でもキツくて、自覚していた以上に崖っぷちだったことに驚きました。
言葉にするって大事。
それも、相手に対して向ける言葉じゃなくて、こうして独り言みたいに吐き出す言葉。

相手の受け取り方を気にせず、心の整理としてつらつら書くと、かなりの感情デトックス。
あわよくば誰か共感できる人がいたらいいなーっていう淡い期待。
アクセス数が満たしてくれる承認欲求。

やっぱりブログ再開してよかった。
まとまった文章じゃなくても、こうして日々感じたことも気軽に書いておこうと思ったのでした。

ウルトラマンならカラータイマーが鳴った後に本領発揮できるのに

長男、学校の耳鼻科検診にて、滲出性中耳炎と副鼻腔炎の疑い。
鼻水続いてるなー、聞こえ悪いなー、とは思ってたけど、まじか。
ちょうどいい時期に検診があってよかったです。
基本的によっぽどのことじゃないと病院行かない派なので。

長女3ヶ月、最近構ってちゃんで辛い。
抱っこしてないとすぐ起きるから、離れられずにあっという間に1日が過ぎていく。
旦那が夜勤のある仕事のため、旦那が寝てる日は日中泣かせておくわけにもいかず。
早く首が座って、おんぶできるようにならないかな。

出かけるのが億劫で軽く引きこもり状態。
一日中家にいるくせに、抱っこ地獄で家事ができず荒れ放題で、心が荒んできました。
もうひと月近くまともな食事を作れてない気がする。

エネルギー切れになってからSOSを出すのでは手遅れだと思うのですが、まだギリギリ洗濯や食事がなんとかなっていて、私が精神的に衰弱しているように見えないうちは、旦那は気付いてないのかもしれない。
自分の心<他人の評価になりがちな私は、他人から心配されたりしない程度なら、まだ頑張れるんじゃないか、甘えちゃいけないんじゃないか、と思うクセがある。

本当は助けてほしいのに。

どこまで頑張ってれば、甘えてもいいですか。
やるべきことができてないのに、求めちゃだめですか。

みんな、どうやって持ちつ持たれつしてるんだろう。

なぜ専業主婦の子育ては精神的に辛いのか

専業主婦は孤独

核家族、密室育児というキーワードと共に度々テレビで特集をされるように、専業主婦の育児=孤独というイメージが世間に浸透してきました。


社会との関わりがなくて置いていかれてるようだ。

外出が大変で赤ちゃんとほぼ引きこもり生活。

ママ友をうまく作れなくて悩みを共有できる人がいない。

などなど、お母さんたちは色々な辛さを抱えながら毎日がんばっています。


母親の辛さを軽減させるための解決策として言われるのは、たまには子供を預けて息抜きをするだとか、夫の協力が必要だとか、地域のサークルでママ友と出会うだとか。

もうね、正直ね、そんなことわかってるんですよ。

ていうか、それでも辛いと思っちゃう私は贅沢なんでしょうか。


情報過多の弊害

これも育児に限らず、現代社会でよくあることだと思います。
情報が溢れすぎている、ということ。
どんな番組でもサイトでも、結局行き着く解決策はだいたい似たり寄ったりです。
それを繰り返し聞かされていると、それが万能で絶対の解決策に思えてしまいます。
いつでも誰でもどこでも、答えが同じということは、他にはないのだと思い込んでしまうのです。

そうなると困るのが、それで解決しなかった時。
これで解決するはずだったのに…これでもまだ満足できないなんて、ワガママなんだろうか…みんなはこれで解決してるはずなのに…
と、私の場合はどんどん自分を追い込んでしまいました。

恵まれた環境

実はブログを更新していなかった1年の間に、2人目が生まれました。
現在育児休暇中です。

私の場合は、上の子の幼稚園でできたママ友がいたり、地元なので実家の家族や友達が近くにいたり、孤独と言っては失礼なくらい、恵まれた環境で子育てをしています。

時々母に子供たちを見てもらって少し出かけたり、学生時代の友達が遊びに来てくれておしゃべりをしたり、子供の仲良しグループで集まってママ友たちと会ったり、孤独を感じないための解決策は充分に実践できているのです。

確かにその時その時は楽しいです。
でも、家に帰った時や眠りにつく時、どっと疲れたり悲しくなったり、ちっとも孤独感は晴れていないことに気づきます。
楽しい時間でごまかしていただけ、一過性のものなのです。

リフレッシュとリセット

私は気づきました。
この一過性の解決策たちは、リフレッシュであると。
リフレッシュはもちろん必要です。
予定があることでモチベーションが上がったり、楽しい時間は生活に潤いを与えてくれます。

しかし、私が必要としていたのは、母親である私からのリセットでした。

子供たちと一日中過ごしていると、私は一日中、母親なのです。
子供向けの優しい自分を繕い続けているのです。
理解不能な話に優しく相槌を打ったり、全然おもしろくない遊びに笑顔で付き合ったり、自分でやったほうが早いなーとイライラしつつも黙って見守っていたり、赤ん坊に一方通行のコミニュケーションをし続けたり、とにかくキリがない程、子供向けの自分を演じているのです。

私の辛さは孤独からくるものではなく、自分が自分でいられないことだったのです。
だから、素直な自分に戻りたい。
そしてそれは、たまのリフレッシュではインターバルが長すぎて、息切れしてしまっていたのです。

自分でいられる日常

ではどうすればリセットできるのか。
私の場合は、旦那との時間でした。

辛くて辛くて油断すると涙が出るようになってしまった時期は、旦那が夜勤続きですれ違いの毎日でした。
会話は必要最低限、もちろん夫婦生活もなく、私の日常は子供との時間で埋まっていました。

もう限界…と思い、旦那に涙ながらに現状を伝えたところ、帰りの早い日にご飯を作っておいてくれたり、早起きしてくれて夜勤前に一緒に買い物に出かけたり、たくさん会話をしました。

その後も毎日少しでも会話やスキンシップをするようにしたところ、1日の終わりと始まりの私の気分が、大きく改善されました。

育児をしなければ気付けなかった幸せ

思ったことを素直に話して、感じたことを素直に顔に出す。
子供とべったり一緒にいると、こんな当たり前のことができなくなってしまうんですね。
当たり前すぎて、それすらできていないことにも、どれだけ大切なことなのかも、なかなか気づくことができませんでした。
それに気づくことができたのも、子供との生活あってこそ。
辛いことや大変なこともたくさんあるけど、それ以上に幸せなのはもちろんのこと、仕事では得られない経験をさせてくれる子供たちに感謝です。

そして、支えてくれる旦那にも感謝。
これを読んで下さっているお父さんがいたら、ぜひ、お母さんをお母さんから解放してあげて下さい。
名前を呼んで、他愛もない話をして、子供の前ではできないだらしない姿や、お行儀の悪いことをさせてあげて下さい。

1日の汗をお風呂で洗い流すように、1日がんばった「お母さん」を脱いで休んだら、また明日の朝着替えましょう。

子から親への愛情とは

愛情不足のコンプレックスを認める - SNSじゃ言えないんだけど

「私は両親からの愛情に飢えていた」ということを前提として、ここ数日色々と考えていました。

考えていたら、ふと、両親が私を愛していたのかではなく、私は両親を愛していたのかと疑問になりました。


心が込められない

母の日、父の日、誕生日、クリスマス…
私は両親に対してお祝いをした回数がとても少ないのです。
やったとしても、それは義務的にというか事務的にというか。
テレビでやってて触発されてとか、やっとかないと薄情な娘だと思われるかなとか、そんな薄っぺらい理由でした。
両親へ感謝を伝えようとか、両親のことが好きだから何かしてあげたいとか、そんな気持ちはありませんでした。
今もあまり湧いてきません。
感謝しなきゃいけないよな、と思うから感謝して、それを伝えた方がいいんだよな、と思うから伝える。それだけ。

でも私は本来、人の喜ぶ顔を見るのは好きだし、旦那や息子にはサプライズでお祝いをするのが大好きです。
喜ぶ顔を想像しながらお祝い事の準備をするのは、とても幸福な気持ちになれます。

それなのに、両親を喜ばせたいとは思わないのです。
そんな気持ちが湧いてこないのです。


喜んでほしかった?

思い返してみれば、幼い頃は一生懸命やっていた気がします。
思春期になれば誰でも多少はそういうものなのかもしれませんが、年々そういった行事をやらなくなり、長女の私がやらないから弟たちもほぼやらない…という寂しい親子関係になってしまいました。

なぜ幼い頃できてたことができなくなったのか。
私の記憶の中の父と母は、私の手紙やプレゼントを、あまり喜んでくれてなかったというか、リアクションが薄かったような気がします。
子供の曖昧な記憶です。タイミングが悪かったのかもしれません。好みのものではなかったのかもしれません。

本当に幼い頃は、手紙やマッサージ券や折り紙をあげていました。
お小遣いをもらうようになっても、自分のお菓子であっという間になくなってしまう程度のお小遣いを、両親へのプレゼントのために貯める意志の強さはありませんでした。
もうその頃には、そこまでするほどの愛情を持ててなかったのかも。

小学校中学年頃から、私は母の財布からお金を抜き取るようになりました。
友達と買い食いしたり、たまにゲーセンで遊んでみたり、可愛い雑貨を買ったり、そんなくだらないことのために。

常習化していた私は、なんの罪悪感も持たず、母から盗んだお金で両親へのプレゼントを買いました。
今になって思えば、父も母も気づいていたのかもしれません。
到底小学生が買うようなものではなかったのですから。
お金の出どころを聞かれたら「貯めた」「お年玉」と答え、高かったんじゃないかと聞かれたら「セールしてた」と答えていました。

母が子供たちを疑ったことがありましたが、私は普段いい子にしていたし、母は子供を嘘つき呼ばわりする人ではなかったので、シラを切り続ければそれ以上の追求はされませんでした。

でも、気づいていたから、私のプレゼントを喜んでくれなかったのかもしれません。
私の中では順序が逆で、喜んでくれなかったからエスカレートしていったのだと思います。
喜んでほしいという気持ちを私は持っていたのです。


負の連鎖

細かいところを見ていくと、やっぱり私は愛情に飢えていたのかもと思います。

母のことは嫌いじゃないけど、母の私に対する接し方は嫌な部分が見えてきて、私はそんな母親になるまいと思うのです。

でも、ふと気がつくと、母と同じことをしているのです。
私がしてほしかったことを息子にしようと思っているのに。

私はつい最近まで、自分が育ってきた環境に満足していたから、何が足りなかったのか自分でもよくわかっていないのです。
わからないところがわからない状態。
でも、このままじゃいけないという危機感。
このままじゃ、息子も私と同じようになってしまう。

考えれば考える程、両親に対してなんだか冷めた感じになってしまうのです。

仲は良い方。会えば話は弾む。息子のこともよく預かってくれる。
色々と尊敬できるところも、好きなところもあります。

ただ、私が自分自身を見つめ直して向き合う程に、両親に対して軽蔑のような感情が湧いてきてしまうのです。


親への愛って?

親から子への愛はよく語られます。

検索してもたくさん出てきます。

でも、逆ってあまりないんですよね。


子は年老いた親の面倒を見るもの。育ててもらった恩がある。

私だって親を見捨てるようなつもりはありません。

でも、それが愛情?


親から子へは無償の愛。

子から親へは、無償の愛じゃなくて感謝?恩返し?義務?


やっぱり私の中には、愛情不足のコンプレックスを認めたくない自分もいて、認めて楽になりたい自分もいて。

矛盾した自分を抱えていると、親に対してどんな感情を抱いていればいいのががよくわからなくなってしまったのでした。

愛情不足のコンプレックスを認める

「愛されていたはず」ってお前は言うけど、愛情に対するコンプレックスが、結構深いものがあるような気がする。

そう言われた私は、旦那の腕の中で悲鳴のような泣き声を上げて、過呼吸を起こしました。

愛情不足のコンプレックスを抱えている自覚がありつつも、それを認めたくなくて(というより、認めてはいけないような気がして)、自分自身に「私は愛されていたはず」そう言い聞かせていました。

ところが旦那は、そんな私に気付いていたのです。第三者からそう言われたことで、認めたくない自分とほっとした自分が一気に反対方向に加速して、自分自身が引き裂かれるようでパニックになったのだと思います。

この矛盾した気持ちを、もう少し掘り下げていきます。


愛されていた、と思わなければ


私は虐待を受けていたわけでも、機能不全家庭で育ったわけでもありません。
仕事に一生懸命な父、明るい専業主婦の母、やんちゃな弟たち、裕福とは言えないまでも人並みの生活水準。
出来の悪い子供だったわけでも、いじめられていたわけでもない、平凡で平和などこにでもある普通の家庭だったと思います。
だから、普通に愛されていたはずなのです。

好きな習い事をさせてもらって、体調が悪くて学校を休めば母が側についててくれて、家出をすれば心配してくれた。

愛情が足りないことなんて、なかったのではないかと思います。


そんな私が、「愛されていなかった」なんて言ってしまったら、愛してくれた両親を否定することになってしまう。

私は人並みに愛されていたはず。

長女だから第一子だから、弟たちほど甘えたりはできなかったかもしれないけど、世の中の兄姉はみんなそうだ。これしきのことでグレていたら、長男長女のほとんどがグレることになる。

だから、愛情不足だったなんて思ってはいけない。

まず一人、愛情不足のコンプレックスを認めたくない私です。


愛して欲しい私、を認めてほしい


愛されてる実感が欲しい。もっともっと欲しい。旦那は仕事が忙しくて疲れているから仕方ない、と頭ではわかっていても、愛情が薄れているように感じてしまうと、情緒不安定になる。
程度の違いはあっても、そう思うことは一般的にありがちなことだと思います。
ただ、私のそれはちょっと度が過ぎているのではないかと思うのです。
旦那にも、「愛情に飢えてて、もっともっとって、底が見えない」と言われました。

こんな私は、異常なのか?
異常だとしたら、なぜそうなったのか?
異常じゃないとしたら、治らないのか?
愛情を欲しがることは、いけないことなのか?
愛情を欲しがる私は、いてはいけないのか?

ぐるぐる考えていると、最後は自己否定にたどり着き、孤独や無力感で絶望的になります。

でもそれを、愛情不足で育ってしまったから、愛情を欲していると結論付けられたら。
私のせいではなくて、私の育った環境のせい、両親のせいにできたら。
私が悪いのではない、いてはいけない人間じゃない、ここにいてもいい、愛情を欲しがってもいい。
そう思えたら、とても楽なのです。

だから、第三者から見てコンプレックスがあるとわかる程、私は愛情に飢えていたのだ。愛情不足だったと、認めてもいいんだ。

もう一人、愛情不足のコンプレックスを認めてもらえてほっとした私です。



恋愛体質なのも、セックスに執着するのも、
完・セックスに執着する私、の考察 - SNSじゃ言えないんだけど

旦那に異常なほど愛情表現を求めるのも、愛情不足だったから。

上記の記事でも愛情不足について言及しており、私自身自覚はありつつも、やはり愛されていたはず…と書いていました。

でも、もうはっきりと愛情不足と認めてもいいのかもしれません。認めることで、前に進めるようになるのかもしれません。

どうやって前に進めばいいのかはまだわかりませんが、前に進むためにはまず、自分の立っている場所をしっかりと確かめることが大事だと思いました。

夫婦円満のために妻ができること

ケンカの根っこ


最近、旦那と派手なケンカを2度しました。

どんな人間でも価値観の違いは根っこにありますが、それが普段気に留める機会すらないような違いなら、その相手とは衝突せずに過ごせるでしょう。

生活を共にしている夫婦の場合、何かの拍子にその価値観の違いが顔を出し、それがケンカに発展してしまったりもします。


これらの記事で書きましたが、私は自分の本音を表面化させることが苦手で、自覚の有無に関わらず、心にチリを積もらせながら生活しているようです。

それが何らかの拍子(たいていアルコールが入った時)に制御がきかなくなり、旦那に怒りのままぶつけてみたり、自己嫌悪垂れ流してみたり、理詰めにして反論の隙を与えなくしてしまったりするのです。

ケンカの原因はほぼコレ

  • 理詰めパターン
とにかく淡々と反論の余地を与えず理詰めする私。
旦那は黙って聞いて、時にはプライドがズタズタになるまで黙って聞いて、爆発してしまう。
爆発した旦那は声を荒げたり、言いすぎたり、物に当たってしまうタイプなため、私は「冷静に話し合える相手ではない」と醒めてしまい、建設的な話ができないまま終わってしまうパターン。
もしくは、旦那は爆発せずただ謝るしかできず、私はその態度がまた不満で怒りがおさまらず、責め続ける。
私の話を聞いてどう感じた?
私がこう思って過ごしてた時、あなたは何を思ってたの?
私は謝罪してほしいんじゃなくて、旦那の気持ちが知りたいのに、反論の余地を与えてないから旦那は謝るしかなくなってしまうパターン。

  • 怒りに任せるパターン
とにかく日頃の不満を大なり小なり、自分に非があるなしに関わらず吐き出しまくる。
旦那もそれに対して思うことを言い返してくる。
お互いに弁解や自己肯定やらで「そんなこと言ったらお前だって…」「わかってないかもしれないけど、こういう時私は実は…」の応酬。
言いたいこと言える反面、自分の至らなさも痛感するため、罪悪感も激しく残るパターン。

  • 自己嫌悪パターン
怒りに任せるのと真逆で、私がとにかく、自分のこんなところがダメだ、これができていない、あなたは私や息子のためにこんなにしてくれているのに…と卑下しまくって泣きまくる。
これは怒りに任せて言いたいこと言う→旦那の反論で責められる→そんなのわかってるよ、私だって…と陥ることが多く、旦那からしたら面倒くさいことこの上ないと思われる。
自分でもこれはやっちゃいけないと思う。
だって女に泣かれたら、男は許すしかないと思うから。

だけど、そもそも、私は本音の出し方がわからなくて。
怒るか泣くかしないと、1番奥の本音をうまく言えなくて。

本音を出したい気持ちはあるけど、不満とか小さな期待とか、そういうのをお互いに傷つかずに話し合う術が分からないのです。

旦那が憎くてケンカするわけではありません。
とても好きで、すごく愛していて、これから続く何十年の生活を思うと、溜め込んで嫌いになるのが嫌だから、いちいち言いたくなるし改善したくもしてほしくもなるのです。



“好きでいる時間”が多くあるために


元は赤の他人である男女が一緒にいるために、結局大切なことは、好きでい続ける努力好きでいてもらい続ける努力をお互いが続けること、だと私は思います。

相手の愛情に甘えてはいけない。
相手を好きでいる自分を蔑ろにしてはいけない。

恋人同士でいる期間と、夫婦になってからと、子供が生まれてからと、それぞれ求めることや求められることが違うと思いますが、原点に立ち帰れば結局これかなあって。

だから、私に足りなかったのは、好きでい続ける努力だったんだと思います。

なんだかんだ不満があろうが、別れる気はないし、結局好きで好きで。
他の人と生きていくことは、今更考えられなくて。

ケンカしている時の私は、
こんなに好きなんだから、好きでいさせてよ。
こういうとこ嫌いだな、嫌だなって、思わせないでよ。
って思って、旦那に努力を求めてたんですね。

でも、いくらケンカしても、いくら好きでも、埋まらない価値観の差があるんだなーって思ったら、

旦那を好きな私でいた方が楽だな。
ってところにたどり着きました。



自分を好きでいる≒旦那を愛せる


じゃあ旦那を好きでいられる私って?

簡単でした。
旦那に求めない。

半分諦めですが、半分期待です。

言い古された言葉ですが、相手に変わってほしいと思ったらまず自分が変わる。
相手を変える努力より、自分を変える努力の方がはるかに楽。

褒めてほしいな、愛してほしいな。
そう思ったら直接それを求めるんじゃなくて、もっと褒めてもらえるような自分になる、もっと愛してもらえるような自分になる。

そうやって一生懸命な自分が嫌いじゃないし、いつもより部屋を綺麗にしたり、今までより明るく可愛げのある私でいたり、生活にハリと潤いが生まれるんですね。

そんな自分を素敵だと思える私がいる。
私がそう思うのだから、旦那もきっとそう思ってくれる。
最悪思ってくれなても、私が充実してるからいいや(笑)

…と、不思議なことに、旦那に愛されたいがためにしていたことで、いつの間にか旦那に愛されることを求めなくなるんですね。

旦那に求める自分のままだと、
こんなに頑張ってるんだから褒めてよ!愛してよ!
って辛くなっちゃうんですけど、それってお互いしんどいだけだって気付いたら、なんかバカバカしくなっちゃって。

自分が自分を愛してあげてると、気持ちに余裕ができる。
旦那に求めなくなることで、旦那を愛せる。

こんな簡単なことに気づくまで、ずいぶん傷つけあってしまったなーと思います。



描かれる素敵な妻


ドラマなんかによく出てくる、健気で理想的な妻。
いつもニコニコしていて、働き者で、夫を支え受け入れる。

以前の私は、こんな人いない、都合よく理想の奥さんを描かれてるなーと思ってました。

でもあれは、夫婦生活を続ける中でたどり着く、妻側の夫婦円満の秘訣だったんですね。

家族をぐいぐい引っ張る肝っ玉母ちゃんなんてのもいますが、それはそれについていく夫あってこその話であって。

我が家の亭主関白系男のプライド尊重派な旦那には、大和撫子な私がしっくりきそうです。

「主婦は大変」の正体

「主婦は大変」?


男も女も、働く人もそうでない人も、口を揃えて言うのは「主婦は大変」

休みがなくて大変。
やることがたくさんあって大変。
自由がなくて大変。

色々と言われてますし、私も大変だなーと思います。私に能力があって、旦那が受け入れてくれるのであれば、私が働くから主夫してくれって言いたいくらいです。

主婦は家事をします。
ご飯をつくって、洗濯をして、掃除をして、買い物をして、家族の健康に気を配って。

じゃあ、家事=大変なのでしょうか?

ご飯。
炊飯器や電子レンジを始め、様々な便利グッズがあります。レトルトや⚪︎⚪︎の素やお惣菜があります。

洗濯。
全自動洗濯機です。なんなら乾燥までしてくれます。干したり畳んだりの手間はあっても、洗濯板の時代からずっと進歩しました。

掃除。
掃除機があります。ロボット掃除機なんてのも流行ってます。洗剤もいいのがあります。掃除いらずのトイレや窓なんてものもあります。

買い物。
地域にもよりますが、スーパーやコンビニ、ドラッグストア、ネット通販や宅配…たいした苦労はありません。

家族の健康。
乳幼児がいれば大変ですが、数年のことです。全ての主婦にとっては当てはまることではありません。

さて。
現代社会で声高に「主婦は大変」と言われてますが、ひとつひとつ考えてみると、それぞれ実はたいしたことではないのです。



主婦は家が職場


会社員は会社で仕事をして、家に帰ってきます。家はくつろげる場所、癒しの空間です。

主婦の仕事が家事であるならば、主婦にとっては家が職場です。

これがまずひとつ、主婦の大変なところかなと。

我が家は旦那が職人さんで、私がパートをしつつ家のことをしています。朝は恐ろしく早く、肉体を酷使して、基本日曜日しか休みのない彼に、家事分担を求めることはほぼ不可能です。

旦那には家で疲れを癒してほしい。
家族のために必死で働いてくれている旦那に、家のことで負担をかけたくない。

でも、時々ふと思うのです。
私の疲れは、誰がどこで癒してくれるんだろう。


いつも目の前にはTo Do


旦那が雨で休みの日や私が体調不良の時、ご飯を作ってくれたりします。
旦那も子供もいなくて1人の時、テレビを観てゆっくりすることもあります。

とても助かります。
のんびり休憩できて、楽ちんな気分に
………実はなりきれません。

会社員が、やりかけの仕事や締切の迫った仕事が山積みのデスクで、昼休みにお弁当を食べてリフレッシュできるでしょうか?

主婦の家でのまったりは、まさしくこの状況です。

私の平日の流れは

5時〜6時
起床。旦那の朝食弁当準備。旦那を起こす。旦那の身支度を手伝う。旦那見送り。
6時〜8時半
子供起こす(すぐ起きなくて添い寝要求され、二度寝しかける)。子供の朝食弁当準備。子供の身支度。同時進行で洗濯。洗い物。子供幼稚園バスに乗せて見送る。
8時半〜9時半
自分の朝食。洗濯続き。洗い物。夕飯下準備その1。身支度。仕事に行く。
10時〜16時
仕事
16時〜17時
買い物。洗濯物取り込む。夕飯下準備その2。お迎え。
17時〜21時
夕飯仕上げ。夕飯。洗い物。旦那帰宅したら旦那の夕飯。風呂掃除。子供と風呂。子供就寝準備。寝かしつけ。
21時〜
旦那の洗い物。朝食弁当の下準備。洗濯物片付け。幼稚園のプリント確認。

簡単に書こうと思いましたが、うっとうしいくらいですね。苦笑

もっと簡潔に、何が言いたいかと言うと、
朝は旦那・子供・自分の出発時間に追われ、
夕方はお迎えの時間に追われ、
夜は就寝時間に追われ、
それぞれの時間に絶対に終わらせなければいけないことが複数ある。
ということなんです。

これ!
これが大変!

もちろんノンストップで動き続けられるわけではないので、ちょこちょこ休憩したりしながらですが。ちなみに、部屋の掃除は休みの日にしかできません。

つまり、たまーにご飯を作ってくれても、時間を見つけてぼーっとしても、家を見渡せば必ずどこかにやるべきことが残っているのです。



旦那への嫉妬


まあそれでも、主婦歴が長くなれば効率良くできるようになったり、習慣化して楽に思えたりもするのですが、ここで厄介なのは旦那の存在です。

時に手伝いもしてくれますが、
時に手間を増やすのも旦那。

子供がいれば、ただでさえ自分のペースで生活できず、子供に振り回されます。
そこにもう1人旦那が加わると、食事の用意が2倍。うちの場合は肉体労働なので、日課のように旦那のマッサージが必要です。
まず、単純にやることが増えます。

さらに、
私は主婦だから、職場(家)で仕事(家事)中。
旦那は仕事が終わって帰ってきて、家でくつろぎ中。

仕事してる目の前でくつろいだり遊んでる人間がいたら、仕事がはかどりません。嫉妬してしまいます。

さらに、心のどこかで
「家にいるなら手伝ってくれればいいのに」
と期待までしてしまうのです。

それは、単純に楽がしたいということではなく、早くやること終われば2人の時間ができるのにと思ってのことで。
そう思ってるのが自分だけなんだな、と思うとイライラしたり寂しかったり。



「主婦は大変」は本音?


「家のこと任せっきりでごめんな」
「一人でやって、大変だよな」
「外で働いてる方が楽だよな」

旦那は私を気遣い、そう言ってくれます。
でも私、これは口先だけだと思ってます。

だって、本当に私の方がすごく大変だって思ってくれてたら、目の前で家事してる私に少しでも救いの手を差し伸べるでしょう。

みんなが主婦は大変っていうから、大変なんだって思ってるだけです。本人も周りも。でも、ひとつひとつのことは実は大変じゃないんです。本人もそれがわかってるから、軽々しく助けを求められないんです。

でも、それでも主婦って大変。
なんで大変なのか、なにが大変なのか、主婦本人もよくわかってないから、大変なんじゃないかなあ。



スケジュールは家族次第


家事は自分でスケジュールを立てます。
がんばるも手を抜くも、自分次第です。

でも、そのスケジュール通りにできないんです。

子供のハプニング、「ママ手伝って」、日々違う旦那の帰宅時間、「マッサージして」、、、

いちいち今やってることを中断しなければいけない。やりたいことをやり遂げられない。予定が狂う。でも時間には追われてる。

これが実はストレスの元凶だってこと、気付けてからは少し冷静になれて、イライラすることが減りました。

そして、このことを旦那に伝えられて、とってもスッキリしたのです。

現状が変わるわけではありません。旦那が手伝ってくれることも増えたわけではありません。

でも、私が何を辛いと思っているかをわかってくれている。そう思うと、同じ状況でも同じ態度でも、旦那が無神経だとイライラすることがなくなるのです。
疲れている旦那のために、働いてくれている旦那のために、純粋にそう思えるのです。

結局、主婦の大変さを軽くしてくれるのは、一時しのぎの手伝いよりも、パートナーの理解と愛なのかなあ、と思いました。