愛情不足のコンプレックスを認める
「愛されていたはず」ってお前は言うけど、愛情に対するコンプレックスが、結構深いものがあるような気がする。
そう言われた私は、旦那の腕の中で悲鳴のような泣き声を上げて、過呼吸を起こしました。
愛情不足のコンプレックスを抱えている自覚がありつつも、それを認めたくなくて(というより、認めてはいけないような気がして)、自分自身に「私は愛されていたはず」そう言い聞かせていました。
ところが旦那は、そんな私に気付いていたのです。第三者からそう言われたことで、認めたくない自分とほっとした自分が一気に反対方向に加速して、自分自身が引き裂かれるようでパニックになったのだと思います。
この矛盾した気持ちを、もう少し掘り下げていきます。
愛されていた、と思わなければ
好きな習い事をさせてもらって、体調が悪くて学校を休めば母が側についててくれて、家出をすれば心配してくれた。
愛情が足りないことなんて、なかったのではないかと思います。
そんな私が、「愛されていなかった」なんて言ってしまったら、愛してくれた両親を否定することになってしまう。
私は人並みに愛されていたはず。
長女だから第一子だから、弟たちほど甘えたりはできなかったかもしれないけど、世の中の兄姉はみんなそうだ。これしきのことでグレていたら、長男長女のほとんどがグレることになる。
だから、愛情不足だったなんて思ってはいけない。
まず一人、愛情不足のコンプレックスを認めたくない私です。
愛して欲しい私、を認めてほしい
完・セックスに執着する私、の考察 - SNSじゃ言えないんだけど
旦那に異常なほど愛情表現を求めるのも、愛情不足だったから。
上記の記事でも愛情不足について言及しており、私自身自覚はありつつも、やはり愛されていたはず…と書いていました。
でも、もうはっきりと愛情不足と認めてもいいのかもしれません。認めることで、前に進めるようになるのかもしれません。
どうやって前に進めばいいのかはまだわかりませんが、前に進むためにはまず、自分の立っている場所をしっかりと確かめることが大事だと思いました。