SNSじゃ言えないんだけど

SNSじゃ言えないよ、母の愚痴や女の本音は

愛情不足のコンプレックスを認める

「愛されていたはず」ってお前は言うけど、愛情に対するコンプレックスが、結構深いものがあるような気がする。

そう言われた私は、旦那の腕の中で悲鳴のような泣き声を上げて、過呼吸を起こしました。

愛情不足のコンプレックスを抱えている自覚がありつつも、それを認めたくなくて(というより、認めてはいけないような気がして)、自分自身に「私は愛されていたはず」そう言い聞かせていました。

ところが旦那は、そんな私に気付いていたのです。第三者からそう言われたことで、認めたくない自分とほっとした自分が一気に反対方向に加速して、自分自身が引き裂かれるようでパニックになったのだと思います。

この矛盾した気持ちを、もう少し掘り下げていきます。


愛されていた、と思わなければ


私は虐待を受けていたわけでも、機能不全家庭で育ったわけでもありません。
仕事に一生懸命な父、明るい専業主婦の母、やんちゃな弟たち、裕福とは言えないまでも人並みの生活水準。
出来の悪い子供だったわけでも、いじめられていたわけでもない、平凡で平和などこにでもある普通の家庭だったと思います。
だから、普通に愛されていたはずなのです。

好きな習い事をさせてもらって、体調が悪くて学校を休めば母が側についててくれて、家出をすれば心配してくれた。

愛情が足りないことなんて、なかったのではないかと思います。


そんな私が、「愛されていなかった」なんて言ってしまったら、愛してくれた両親を否定することになってしまう。

私は人並みに愛されていたはず。

長女だから第一子だから、弟たちほど甘えたりはできなかったかもしれないけど、世の中の兄姉はみんなそうだ。これしきのことでグレていたら、長男長女のほとんどがグレることになる。

だから、愛情不足だったなんて思ってはいけない。

まず一人、愛情不足のコンプレックスを認めたくない私です。


愛して欲しい私、を認めてほしい


愛されてる実感が欲しい。もっともっと欲しい。旦那は仕事が忙しくて疲れているから仕方ない、と頭ではわかっていても、愛情が薄れているように感じてしまうと、情緒不安定になる。
程度の違いはあっても、そう思うことは一般的にありがちなことだと思います。
ただ、私のそれはちょっと度が過ぎているのではないかと思うのです。
旦那にも、「愛情に飢えてて、もっともっとって、底が見えない」と言われました。

こんな私は、異常なのか?
異常だとしたら、なぜそうなったのか?
異常じゃないとしたら、治らないのか?
愛情を欲しがることは、いけないことなのか?
愛情を欲しがる私は、いてはいけないのか?

ぐるぐる考えていると、最後は自己否定にたどり着き、孤独や無力感で絶望的になります。

でもそれを、愛情不足で育ってしまったから、愛情を欲していると結論付けられたら。
私のせいではなくて、私の育った環境のせい、両親のせいにできたら。
私が悪いのではない、いてはいけない人間じゃない、ここにいてもいい、愛情を欲しがってもいい。
そう思えたら、とても楽なのです。

だから、第三者から見てコンプレックスがあるとわかる程、私は愛情に飢えていたのだ。愛情不足だったと、認めてもいいんだ。

もう一人、愛情不足のコンプレックスを認めてもらえてほっとした私です。



恋愛体質なのも、セックスに執着するのも、
完・セックスに執着する私、の考察 - SNSじゃ言えないんだけど

旦那に異常なほど愛情表現を求めるのも、愛情不足だったから。

上記の記事でも愛情不足について言及しており、私自身自覚はありつつも、やはり愛されていたはず…と書いていました。

でも、もうはっきりと愛情不足と認めてもいいのかもしれません。認めることで、前に進めるようになるのかもしれません。

どうやって前に進めばいいのかはまだわかりませんが、前に進むためにはまず、自分の立っている場所をしっかりと確かめることが大事だと思いました。