子から親への愛情とは
愛情不足のコンプレックスを認める - SNSじゃ言えないんだけど
「私は両親からの愛情に飢えていた」ということを前提として、ここ数日色々と考えていました。
考えていたら、ふと、両親が私を愛していたのかではなく、私は両親を愛していたのかと疑問になりました。
心が込められない
母の日、父の日、誕生日、クリスマス…
私は両親に対してお祝いをした回数がとても少ないのです。
やったとしても、それは義務的にというか事務的にというか。
テレビでやってて触発されてとか、やっとかないと薄情な娘だと思われるかなとか、そんな薄っぺらい理由でした。
両親へ感謝を伝えようとか、両親のことが好きだから何かしてあげたいとか、そんな気持ちはありませんでした。
今もあまり湧いてきません。
感謝しなきゃいけないよな、と思うから感謝して、それを伝えた方がいいんだよな、と思うから伝える。それだけ。
でも私は本来、人の喜ぶ顔を見るのは好きだし、旦那や息子にはサプライズでお祝いをするのが大好きです。
喜ぶ顔を想像しながらお祝い事の準備をするのは、とても幸福な気持ちになれます。
それなのに、両親を喜ばせたいとは思わないのです。
そんな気持ちが湧いてこないのです。
喜んでほしかった?
思い返してみれば、幼い頃は一生懸命やっていた気がします。
思春期になれば誰でも多少はそういうものなのかもしれませんが、年々そういった行事をやらなくなり、長女の私がやらないから弟たちもほぼやらない…という寂しい親子関係になってしまいました。
なぜ幼い頃できてたことができなくなったのか。
私の記憶の中の父と母は、私の手紙やプレゼントを、あまり喜んでくれてなかったというか、リアクションが薄かったような気がします。
子供の曖昧な記憶です。タイミングが悪かったのかもしれません。好みのものではなかったのかもしれません。
本当に幼い頃は、手紙やマッサージ券や折り紙をあげていました。
お小遣いをもらうようになっても、自分のお菓子であっという間になくなってしまう程度のお小遣いを、両親へのプレゼントのために貯める意志の強さはありませんでした。
もうその頃には、そこまでするほどの愛情を持ててなかったのかも。
小学校中学年頃から、私は母の財布からお金を抜き取るようになりました。
友達と買い食いしたり、たまにゲーセンで遊んでみたり、可愛い雑貨を買ったり、そんなくだらないことのために。
常習化していた私は、なんの罪悪感も持たず、母から盗んだお金で両親へのプレゼントを買いました。
今になって思えば、父も母も気づいていたのかもしれません。
到底小学生が買うようなものではなかったのですから。
お金の出どころを聞かれたら「貯めた」「お年玉」と答え、高かったんじゃないかと聞かれたら「セールしてた」と答えていました。
母が子供たちを疑ったことがありましたが、私は普段いい子にしていたし、母は子供を嘘つき呼ばわりする人ではなかったので、シラを切り続ければそれ以上の追求はされませんでした。
でも、気づいていたから、私のプレゼントを喜んでくれなかったのかもしれません。
私の中では順序が逆で、喜んでくれなかったからエスカレートしていったのだと思います。
喜んでほしいという気持ちを私は持っていたのです。
負の連鎖
細かいところを見ていくと、やっぱり私は愛情に飢えていたのかもと思います。
母のことは嫌いじゃないけど、母の私に対する接し方は嫌な部分が見えてきて、私はそんな母親になるまいと思うのです。
でも、ふと気がつくと、母と同じことをしているのです。
私がしてほしかったことを息子にしようと思っているのに。
私はつい最近まで、自分が育ってきた環境に満足していたから、何が足りなかったのか自分でもよくわかっていないのです。
わからないところがわからない状態。
でも、このままじゃいけないという危機感。
このままじゃ、息子も私と同じようになってしまう。
考えれば考える程、両親に対してなんだか冷めた感じになってしまうのです。
仲は良い方。会えば話は弾む。息子のこともよく預かってくれる。
色々と尊敬できるところも、好きなところもあります。
ただ、私が自分自身を見つめ直して向き合う程に、両親に対して軽蔑のような感情が湧いてきてしまうのです。
親への愛って?
親から子への愛はよく語られます。
検索してもたくさん出てきます。
でも、逆ってあまりないんですよね。
子は年老いた親の面倒を見るもの。育ててもらった恩がある。
私だって親を見捨てるようなつもりはありません。
でも、それが愛情?
親から子へは無償の愛。
子から親へは、無償の愛じゃなくて感謝?恩返し?義務?
やっぱり私の中には、愛情不足のコンプレックスを認めたくない自分もいて、認めて楽になりたい自分もいて。
矛盾した自分を抱えていると、親に対してどんな感情を抱いていればいいのががよくわからなくなってしまったのでした。