SNSじゃ言えないんだけど

SNSじゃ言えないよ、母の愚痴や女の本音は

夫婦円満のために妻ができること

ケンカの根っこ


最近、旦那と派手なケンカを2度しました。

どんな人間でも価値観の違いは根っこにありますが、それが普段気に留める機会すらないような違いなら、その相手とは衝突せずに過ごせるでしょう。

生活を共にしている夫婦の場合、何かの拍子にその価値観の違いが顔を出し、それがケンカに発展してしまったりもします。


これらの記事で書きましたが、私は自分の本音を表面化させることが苦手で、自覚の有無に関わらず、心にチリを積もらせながら生活しているようです。

それが何らかの拍子(たいていアルコールが入った時)に制御がきかなくなり、旦那に怒りのままぶつけてみたり、自己嫌悪垂れ流してみたり、理詰めにして反論の隙を与えなくしてしまったりするのです。

ケンカの原因はほぼコレ

  • 理詰めパターン
とにかく淡々と反論の余地を与えず理詰めする私。
旦那は黙って聞いて、時にはプライドがズタズタになるまで黙って聞いて、爆発してしまう。
爆発した旦那は声を荒げたり、言いすぎたり、物に当たってしまうタイプなため、私は「冷静に話し合える相手ではない」と醒めてしまい、建設的な話ができないまま終わってしまうパターン。
もしくは、旦那は爆発せずただ謝るしかできず、私はその態度がまた不満で怒りがおさまらず、責め続ける。
私の話を聞いてどう感じた?
私がこう思って過ごしてた時、あなたは何を思ってたの?
私は謝罪してほしいんじゃなくて、旦那の気持ちが知りたいのに、反論の余地を与えてないから旦那は謝るしかなくなってしまうパターン。

  • 怒りに任せるパターン
とにかく日頃の不満を大なり小なり、自分に非があるなしに関わらず吐き出しまくる。
旦那もそれに対して思うことを言い返してくる。
お互いに弁解や自己肯定やらで「そんなこと言ったらお前だって…」「わかってないかもしれないけど、こういう時私は実は…」の応酬。
言いたいこと言える反面、自分の至らなさも痛感するため、罪悪感も激しく残るパターン。

  • 自己嫌悪パターン
怒りに任せるのと真逆で、私がとにかく、自分のこんなところがダメだ、これができていない、あなたは私や息子のためにこんなにしてくれているのに…と卑下しまくって泣きまくる。
これは怒りに任せて言いたいこと言う→旦那の反論で責められる→そんなのわかってるよ、私だって…と陥ることが多く、旦那からしたら面倒くさいことこの上ないと思われる。
自分でもこれはやっちゃいけないと思う。
だって女に泣かれたら、男は許すしかないと思うから。

だけど、そもそも、私は本音の出し方がわからなくて。
怒るか泣くかしないと、1番奥の本音をうまく言えなくて。

本音を出したい気持ちはあるけど、不満とか小さな期待とか、そういうのをお互いに傷つかずに話し合う術が分からないのです。

旦那が憎くてケンカするわけではありません。
とても好きで、すごく愛していて、これから続く何十年の生活を思うと、溜め込んで嫌いになるのが嫌だから、いちいち言いたくなるし改善したくもしてほしくもなるのです。



“好きでいる時間”が多くあるために


元は赤の他人である男女が一緒にいるために、結局大切なことは、好きでい続ける努力好きでいてもらい続ける努力をお互いが続けること、だと私は思います。

相手の愛情に甘えてはいけない。
相手を好きでいる自分を蔑ろにしてはいけない。

恋人同士でいる期間と、夫婦になってからと、子供が生まれてからと、それぞれ求めることや求められることが違うと思いますが、原点に立ち帰れば結局これかなあって。

だから、私に足りなかったのは、好きでい続ける努力だったんだと思います。

なんだかんだ不満があろうが、別れる気はないし、結局好きで好きで。
他の人と生きていくことは、今更考えられなくて。

ケンカしている時の私は、
こんなに好きなんだから、好きでいさせてよ。
こういうとこ嫌いだな、嫌だなって、思わせないでよ。
って思って、旦那に努力を求めてたんですね。

でも、いくらケンカしても、いくら好きでも、埋まらない価値観の差があるんだなーって思ったら、

旦那を好きな私でいた方が楽だな。
ってところにたどり着きました。



自分を好きでいる≒旦那を愛せる


じゃあ旦那を好きでいられる私って?

簡単でした。
旦那に求めない。

半分諦めですが、半分期待です。

言い古された言葉ですが、相手に変わってほしいと思ったらまず自分が変わる。
相手を変える努力より、自分を変える努力の方がはるかに楽。

褒めてほしいな、愛してほしいな。
そう思ったら直接それを求めるんじゃなくて、もっと褒めてもらえるような自分になる、もっと愛してもらえるような自分になる。

そうやって一生懸命な自分が嫌いじゃないし、いつもより部屋を綺麗にしたり、今までより明るく可愛げのある私でいたり、生活にハリと潤いが生まれるんですね。

そんな自分を素敵だと思える私がいる。
私がそう思うのだから、旦那もきっとそう思ってくれる。
最悪思ってくれなても、私が充実してるからいいや(笑)

…と、不思議なことに、旦那に愛されたいがためにしていたことで、いつの間にか旦那に愛されることを求めなくなるんですね。

旦那に求める自分のままだと、
こんなに頑張ってるんだから褒めてよ!愛してよ!
って辛くなっちゃうんですけど、それってお互いしんどいだけだって気付いたら、なんかバカバカしくなっちゃって。

自分が自分を愛してあげてると、気持ちに余裕ができる。
旦那に求めなくなることで、旦那を愛せる。

こんな簡単なことに気づくまで、ずいぶん傷つけあってしまったなーと思います。



描かれる素敵な妻


ドラマなんかによく出てくる、健気で理想的な妻。
いつもニコニコしていて、働き者で、夫を支え受け入れる。

以前の私は、こんな人いない、都合よく理想の奥さんを描かれてるなーと思ってました。

でもあれは、夫婦生活を続ける中でたどり着く、妻側の夫婦円満の秘訣だったんですね。

家族をぐいぐい引っ張る肝っ玉母ちゃんなんてのもいますが、それはそれについていく夫あってこその話であって。

我が家の亭主関白系男のプライド尊重派な旦那には、大和撫子な私がしっくりきそうです。