SNSじゃ言えないんだけど

SNSじゃ言えないよ、母の愚痴や女の本音は

完・セックスに執着する私、の考察

セックスに執着する私、の考察 - SNSじゃ言えないんだけど
の続きです。
これが最後になります。

なぜ私が、セックスに執着するのか。
セックス=承認欲求を満たせる。甘えられる相手を得るための手段。いい子でいなくても価値があると思える時間etc...
言い換えようと思うと色んな言葉が思い浮かびます。

どんな言葉に置き換えても、根底にあるものは変わらず、ありのままの自分を愛してほしい、愛されてることを実感したいということなのかなーと。



いい子なお姉ちゃん

アサ子は4人姉弟の長女です。
年の近い弟が1人、年の離れた弟が2人。
物心ついた時にはわんぱくな弟がいて、身の回りのことをほぼ自分でできるようになった頃2人目の弟が生まれ、その弟がイヤイヤ期真っ只中に3人目の弟が生まれました。

この頃の記憶は、年齢的なこともあるかとは思うのですが、圧倒的に少ないです。
おぼろげながら覚えている私は、いつも弟の世話や母の手伝いをして、大人を困らせることのない、とてもいいお姉ちゃんでした。

わがままを言わない。言えない。
わがままどころか、思ってることを何も言えない。
どこまでが言ってもいいことで、どこからが相手を困らせることかを理解する前に、自分の言葉を封じることを無意識に習得していたのです。



小さな反抗


そんないい子な私でしたが、小学校高学年になり、1人で電車に乗って習い事に通ったりするようになって、反抗期に片足を突っ込みました。

気疲れすることの多い子供だったので、年のわりに1人の時間が好きで、古本屋で立ち読みをするのが好きでした。
習い事をさぼって古本屋で時間を潰し、頃合いを見計らって、なに食わぬ顔をして家に帰りました。
緩いところだったので、無断で休んでも親に連絡がいくことはほぼなく(今思えば物騒ですが)、悪いことをした自分に気づかない家族を見下して、失望して、少し得意げにもなりました。

門限もしょっちゅう破っていました。
真っ暗になってから家に帰って、母に怒られても、罪悪感はありませんでした。反省もしませんでした。

誰にも迷惑かけてないんだから、いいじゃん。



母の温もり


中学生になり、学校をサボってみました。
なんならそのまま家出しようと思ってました。
いっそのこと、死んでしまえばいいとまで。

どうしてそんなこと思ったのか、今となっては覚えてません。逃げ出したくなったことがありすぎるので、いちいち理由なんて覚えてられません。

制服なので、街中に出ることはできませんでした。森林公園のようなところで人目を避けて、放課後までぶらぶらしました。

学校から親に連絡いってるかなー、なんて思いつつ、遠くに行く勇気も覚悟もないまま本屋にいたら、母に見つかりました。

母はまさに泣き笑いという顔で、私を強く抱きしめて、「よかったぁ…」と言いました。
頭をガシガシと、撫でられたのか、揺さぶられたのか、叩かれたのか。
とにかく強く頭を触られて、引っ張られて、家路につきました。

大人になるまでに母に抱きしめられた記憶は、これだけです。

これだけ、ということはきっとないのだと思うのですが、覚えていないくらいに幼い頃でしかないのでしょう。
母はいつも弟を抱っこしていましたから。弟が大きくなった頃には私も大きくなっていて、母とのスキンシップが照れ臭かったのです。



愛されたかった


ずばり、愛されたかったんだと思います。
愛されていなかったわけではないと思います。

母は、明るく元気で、愛情に溢れた人だと思います。

でもきっと、余裕がなかったんです。
仕事で忙しい父、家事育児は母に任せっきり。
だから私、何も言われなくてもいい子になったんです。

母に愛されるために。
母に嫌われないために。
母に必要とされるために。
私の居場所を、確保するために。

それがいつしか、
いい子でいないと愛されない
役に立つ私じゃないと価値がない
と思うようになりました。



家庭<他人


年を重ね、恋愛をするようになり、初体験をして。
両親の愛情に対する飢餓を、異性で満たそうとするようになりました。

男の人は、私を愛してくれる。
男の人は、私を必要としてくれる。

そのために抱かれることは、私にとってとても簡単なことで、肉体関係になるまで時間をかけることはありませんでした。

一人暮らしの人と付き合うと、すぐに転がり込んで、家にほとんど帰りませんでした。

自分の居場所は、家族のいる家庭ではなく、抱いてくれる男の人がいるところでした。



でも両親は好き


母の悪口みたいになってますが、母のことを恨んでるわけでもなく、とても仲良しです。

仕方なかったんだと思ってます。
母の育児が間違っていたとも思ってません。
今となっては、私が私自身を好きで、私の人生を後悔してないので、まあこれでもいいかなーという感じです。

これ以外にも色々と、不登校や警察沙汰や鬱や自殺未遂などがあり、紆余曲折を経たからこそ、今の自分と母との距離感があるのだとは思いますが、それはまたの機会に。